ジョン・バーニンガムは1936年4月イギリスのサリー州に第3子として生まれました。戦時中一家は父の仕事が転々としたこともあり、実家を人に貸してトレイラーハウスで地方を転々とする生活をします。両親は教育に関して、進歩的を通りこして前衛的な考え方をもっており、ジョンはそのせいで9回も転校をしたといいます。自由で共学で風変わりな学校があると、通わせてみたらどうだろう。。と母が飛びついたということですが・・・。

  当時は国が定めたカリキュラムといったものがなかったので教師 の教え方は学校によってまちまちで、たび重なる転校で学校の勉強が随分抜け落ちてしまった。 ・・・・・・ 美術の時間は戦争にまつわるものは一切描いてはいけないと禁止されていたためにストレスがたまり・・トレイラーハウスの中で、明けても暮れても、戦争の絵を描いてすごした。 わたしの母はいつも、子どもたちが好きなだけ絵を描けるように、紙を用意してくれていた。『わたしの絵本、わたしの人生』
 ジョンの母は寄宿生活を送るジョンにいつも絵入りの手紙を書いていたといい、自身もとても絵が好きな女性だったようです。

   戦時中、学校にほとんど行けない時期もあり、一家は人里離れた焼け残った家の残骸の元ガレージらしい小屋の中での生活を強いられたこともあり両親はとても苦しかったそうですが、ジョンにとっては天国。大自然のなかで暮らせたことは本当に幸運だったと楽しい思い出の数々をその著書でなつかしく回想しています。戦争が終わるといったん自宅にもどったものの、また何度も引っ越しをして転校する生活に逆戻り。13歳のときに入ったサマーヒル校でははじめて3,4年過ごすことができたようです。
 サマーヒル校は生徒が校内ミーティングで校則をつくり授業に出るも出ないも生徒の自由というとても自由な学校でした。ジョンは美術室で膨大な時間を過ごし、ひまさえあれば絵を描いていたそうです。 サマーヒル校では悪さをしたエピソードも。上級生が盗んだ食料貯蔵庫のカギを、その上級生から取り上げ、貯蔵庫の食品を夜な夜な消費する日々を過ごしていたある日、校長先生によばれ貯蔵庫のカギを知らないか?といわれます。カギをもって校長室へいくと、新聞の後ろから手が伸びてきてカギをとりあげられました。校長はそのまま新聞を読みつづけ、それ以上何もいわなかったそうです。

 ジョンは1953年にサマーヒルを卒業。のちに学校や教育についてこんなことを書いています・・・
 サマーヒルでは、毎日楽しく陽気にすごした。良い教育とはどういうものなのだろう?わたしにはいまだによくわからない。わが子の学校選びに頭を悩ますという経験を経ても、やはり答えは見つからぬままだ。学校生活はそこにいるあいだは永遠のように思えるが、実は本当に短いものだ。『わたしの絵本、わたしの人生』

  卒業後、ジョンは徴兵には行かずに良心的兵役拒否者名簿に登録します。強い信念があったわけではなく、父を喜ばせるために。2年半にわたり、兵役免除者とし てジョンはさまざまな国に行き、さまざまな仕事を経験します。スラム街を掃除したり、農場や森林、病院で働いたり・・・これは自分にとってとてもいい経験であったと書いています。
  奉仕活動が終わったところで友人の影響で中央美術工芸学校に入り、 グラフィックデザインとイラストの専門コースを3年間学びました。ここで在学中にのちに妻となるヘレン・オクセンバリーと出会います。

 23歳のときに『ギニー・ピッグ』誌にはじめてイラストが掲載されました。中央美術工芸学校を優等で卒業し、デザインの学位を取得します。ヘレンといっしょにイスラエルで舞台美術の仕事をしたあとイギリスにもどりロンドン交通局のポスターを制作をすることに。報酬は100ポンドで夢のような仕事をもらえたと大喜び。初仕事を満足のいく出来栄えで仕上げ、はしゃぐ気持ちを回想しています。。

 ロンドンの地下鉄の駅やバス待合所に、はじめて自分のポスターがお目見えするという日、わたしは早起きして、町じゅうをまわった。きっとみんながポスターを見て、あれこれ噂しているだろう と思ったのだ。ところが、だれもまるで気にとめていないではないか!せいぜい寄りかかるのに、使われているだけだ。いやはや、まいったね。それでも、ポスターの依頼はとぎれず、わたしはか きつづけた。『わたしの絵本、わたしの人生』

  ポスターの仕事をこなしながらもイラストレーターの仕事がしたくて、雑誌社や出版社をまわりますが、「こういうのはポスター用で挿絵にはならない」と言われ、自分で物語を書き絵をつけて絵本をまるごと1冊作ってしまおう と初めて絵本を制作します。この『ボルカ はねなしガチョウのぼうけん』はジョナサンケープ社の目にとまり晴れて出版。この絵本で28歳のときにケイト・グリーナウェイ賞を受賞し、同年ヘレンと 結婚しました。35歳のときには『ガンピーさんのふなあそび』で再度ケイト・グリーナウェイ賞を受賞し、この賞を2度受賞したはじめてのイラストレーターとなりました。 1971年には、80日間44000マイルの世界一周旅行をしており、日本にも立ち寄り、それが絵本『80日間世界一周』となって出版されています。

 『おじいちゃん』は、エミール/クルト・マッシュラー賞を受け、アニメーション映画にもなりました。 『いつもちこくのおとこのこ-ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』はペアレンツ・チョイス賞を受賞。『ねんころりん』『旅するベッド』『エドワルド せかいでい ちばんおぞましいおとこのこ』など作品多数。近年では老年期について『あなたの人生の時間 上手に年をとろう』や『わたしたちが子どもだったころ 子ども時代の思い出集』など大人向けの本も発表しています。現在74歳。娘ルーシー、息子ウィリアム、娘エミリーの3人の子どもがいます。

 とても温かいきれいな色づかいで、子どもの本にも決して”子どもっぽさをいれない”という意図がよくわかるシンプルな画風。何度も描きこまれた末の線描きは洗練されており見る者を惹き込みます。ジョン・バーニンガムは大人とは違う次元で考える子どもの想像世界を描くのがとてもうまい作家ですが、大自然のなかで自由な少年時代を過ごした経験はかけがえのないものだったのだとその作品の美しさからいつも感じます。 また子どもの想像世界を決して理解できない大人を登場させる作品が多い一方で、ガンピーさんのように子どもに対してあたたかい目線をもつ大人が登場する作品も多く、両親をはじめ温かい存在の大人が身近にいていつも見守ってくれていたことが窺える気がします。ユーモアや皮肉がたっぷり、シンプルな文章とイマジネーションを刺激する絵は飽きることがなく、何度も読みたくなる絵本です。(座間彰子)

        参考文献:
        『 John Burningham わたしの絵本、わたしの人生 』
        著:ジョン・バーニンガム 訳:灰島かり ほるぷ出版
        『 別冊太陽 海外の絵本作家たち 』 柴田こずえ 平凡社

 ●主な作品(是非図書館などで探して手にとってみてください♪)

*『ボルカ はねなしガチョウのぼうけん』 木島始訳 ほるぷ出版 ジョン・バーニンガムの第一作。
ボルカは羽のないガチョウ。飛ぶことも泳ぐこともできず、仲間はずれにされひとりぼっちになったボルカは・・・

  *『ガンピーさんのふなあそび』 光吉 夏弥 訳 ほるぷ出版
これはガンピーさんです。ガンピーさんは舟を一そう持っていました。シンプルなガンピーさんの紹介からお話ははじまります。ガンピーさんが舟を漕いでいると、途中「いっしょに連れてって」とこどもや動物たちがつぎつぎにやってきます。「いいとも」「けんかさえ、しなけりゃね」とガンピーさん。ところがどうぶつたちはいわれたことも忘れて舟のなかでつぎつぎとあばれだします。。。舟はひっくりかえり、びしょぬれに・・・さてガンピーさんはどうしたでしょうか。この絵本に出逢って以来、ガンピーさんの温かさは私の育児の大きな指標となりました。

  *『いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー』   谷川俊太郎 訳 あかね書房  
いつもちこくをするおとこのこが先生に怒られつづけるのですが・・・最後はせんせいが?!!
わたしはムチで叩かれたことはないし、権威主義的学校に通ったこともない。教師という職業はなんと大変な職業だろうと思っている。 大人は身体も大きいし、力もあるし、権力もあるので、子どもに対してギャーギャーいったりするが、その子どもがあっという間に大きくなって力がついてくるのが面白い現象だと思って書いたといっています。名前が長いのは被告が裁判所でフルネームで呼ばれるのを採用したそうです。見返しの「もうわたしはうそをつきません」と罰でかかされた文章は、ジョンの末娘エミリーちゃんの直筆。中学年の少し生意気になってきた頃の子どもは大喜びです。

  *『ねえ、どれがいい?』 訳 まつかわまゆみ 児童図書館・絵本の部屋 
ねえ、どれがいい?選択肢のナンセンスぶりとブラックユーモアたっぷり。 「かたつむりのおだんご」「へびのジュース」「くものシチュー」など究極の選択にこどもたちは大喜び。読み手と聞き手の対話を生むしかけがさすがのとっても楽しい絵本です。

  *『はるなつあきふゆ』 訳 岸田衿子 児童図書館・絵本の部屋 <ほるぷ出版>
絵本というより、John Burninghamのポスター集。動物や自然、そしてその傍で暮らす人々の、四季折々の風景が見事に描かれた美しい絵本。画風が好きな方は是非手にとってみてください。 ジョン・バーニンガムが少年時代大自然を満喫した様子がよくわかる絵本です。